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東京地方裁判所 昭和54年(ヨ)2360号 判決

申請人 神尾公江

右訴訟代理人弁護士 高橋秀忠

被申請人 共栄興業株式会社

右代表者代表取締役 井部勇一

右訴訟代理人弁護士 丹羽鑛治

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、四五万四〇七〇円及び昭和五四年一〇月から毎月末日に一一万七六六七円を仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被申請人は、建設業を目的とし、従業員約三〇名、資本金二億五〇〇〇万円の株式会社である。

2  申請人は、昭和五二年一〇月二〇日、職業安定所を通じて被申請会社の正社員の事務員として入社し、当初は営業第二部に勤務していたが、同五四年四月一七日から五階勤務となった。

3  昭和五四年六月七日ころ、申請人は、被申請会社総務部長から突然解雇を通告され、同月二〇日ころ社内の掲示板に申請人が同月一〇日付で退職した旨掲示された。申請人は右解雇に納得せず、同年八月七日まで勤務を継続したが、同月八日被申請会社ビル管理人によってビル内への立入りを禁止されたため、就労することができず、現在に至っている。

4  被申請会社の申請人に対する解雇の理由は、申請人の出勤率が悪いこと及び身元保証書を提出しないということである。しかし、申請人は、指定された年次有給休暇(年六日間)の範囲内で休暇をとっていたし、また、身元保証人の件についても、入社後三か月位経てから要求されたので、社員規程を見せてほしい旨申し入れたが被申請会社がこれに応じなかったので、身元保証書を提出しなかったものである。

したがって、被申請人の申請人に対する右解雇は、恣意によるものであって解雇権の濫用であるから、無効である。

5  被申請人は申請人に対し、昭和五四年六月に同月分の給料の一部である五万八四五二円と退職金名義の九万六四〇〇円を申請人の銀行口座に振込んだのみでその後の給料等の支払をしない。ところで、申請人の同年四月現在の給料は一一万七六六七円であり、賞与の実績は、七月に一三万八二七八円、一二月に二二万三三七一円であったから、同年一〇月一日現在の被申請人の申請人に対する未払賃金及び賞与の額は、六月から九月までの四か月分の給料(計四七万〇六六八円)と賞与(一三万八二七八円)の合計額(六〇万八九四六円)から被申請人が支払った右一五万四八五二円を控除した四五万四〇七〇円(但し、右退職金名義の九万六四〇〇円は未払給料に充当)となる。

6  申請人は独身であるが、被申請人からの給料の支払を受けえなくなってから多少のアルバイトをしているだけであり、財産もないので生活費にも困窮している。

よって、申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定め、かつ、昭和五四年七月から同年一〇月までの未払賃金及び賞与(四五万四〇七四円)と同年一〇月から毎月末日に一一万七六六七円を仮に支払うことを求める。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1記載の事実中、従業員数を除き、認める。

被申請会社の従業員は約五〇名である。

2  同2記載の事実は認める。

3  同3記載の事実中、被申請人が申請人を昭和五四年六月一〇日限りで解雇したこと、申請人はその後も被申請会社に立入り、適当な空席に座るなどしていたこと、同年八月七日ころ、ビル管理人が申請人に対し被申請会社に立入らないように通告し、その後申請人が被申請会社に来なくなったことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同4記載の事実中、申請人に対する解雇理由には、申請人の出勤状態が悪いことと身元保証書を提出しないことも含まれていることは認めるが、その余の事実は否認する。

5  同5記載の事実中、被申請人が申請人に対し給料等の未払があることは否認し、その余は認める。

6  同6記載の事実は不知。

三  被申請人の主張等

1  申請人は、昭和五二年一〇月二〇日被申請会社に入社し、営業第二部に配置されたが、同部は官公庁に対する工事の受注担当部であり、申請人は、官公庁に提出する書類等の作成、官公庁よりの指名その他の連絡を受理し、これを社員に伝達すること、来客の応待、その他右に関連する業務を担当していた。特に、営業部員は、部長以下全員が営業活動のため社外に出ることが多いので、申請人は、留守役として、社内外からの伝達事項の受理、伝達に責任をもつことになっていた。

同五四年四月一七日申請人は五階勤務に配置換された。同階には役員などの個室などもあり、申請人は、右五階執務者に対する伝達事項の受理、伝達、執務の補助(例えば、書類のコピーの作成、整理保存、使い走り)及び来客の応待などの職務に従事した。

2  申請人の職務規律違反等

(一) 被申請会社においては、就業規則によって、社員として採用された者は、誓約書及び保証人一名をたて身元保証書を提出するものとされているが、申請人は、採用時及びその後少なくとも二度督促を受けたにもかかわらず身元保証書を提出しない。

(二) 申請人は、しばしば朝食を勤務時間中に執務場所においてとった。すなわち、午前九時すぎころ、パン類と紅茶を自己の執務机において飲食していた。

(三) 申請人は、昭和五三年八月五日、上司の岡誠毅部長不在の間に同月七日から一〇日までの夏季特別休暇届を作成し、同部長らの承認がないのに、同月七日から一〇日まで夏季特別休暇をとった。

(四) 申請人は、欠勤、遅刻が多く、例えば、昭和五三年四月一日から同五四年四月三〇日までの間の要出勤日数二九七・五日間のうち、年次有給休暇六日及び特別休暇四日をとったほか、欠勤一五・五日、遅刻八回であって、他の社員に比べて著しく多い。

(五) 申請人は、私用外出が多く、例えば、就業規則上昼の休憩時間が正午から午後一時までと定められているのに、しばしば午後一時まで職場に戻らなかったり、勤務時間中無断で労働省などに行くなどしていた。

3  申請人の業務命令に対する不服従もしくは不誠実な職務遂行

(一) 申請人は官公庁に提出する書類の作成を命じられた場合でも、欠勤してこれを期限までに作成しないため、右提出を延期せざるをえないことがしばしばあった。

(二) 昭和五三年三月ころ、申請人は、岡部長から翌日使用する国鉄新宿建築区の工事入札のための書類を作成し、これを同部長と同じ社宅に居住している社員大島利男に交付し、同部長宅に届けるように指示されたにもかかわらず、これを右大島に交付しなかったため、同部長は翌日の入札業務に支障を来たした。

(三) 昭和五三年四月二六日ころ、申請人は建設省利根川上流工事事務所(栗橋市所在)から指名通知を受け、翌日午前一一時現場説明をするので来庁するようにとの指示を受けたにもかかわらず、これを外出中の上司または他の営業部員に連絡しなかったため、翌朝営業部員が出勤してはじめてこれを知り、同事務所に駆け付け、辛うじて事なきをえた。

(四) 昭和五三年九月中旬ころ、経理課長青島幸夫が関東地方建設局より入札指名のため所定時刻に来庁して指名通知を受理するようにとの連絡を受けた。同課長は営業第二部には申請人のほかに誰も居なかったので、申請人に対し右指名通知受理のために同局に赴くように指示したにもかわらず、申請人はこれに従わなかった。指名通知は所定時刻に受理しないと指名停止となることがあるので、同課長はやむなく、自ら同局に赴いてこれを受理した。

(五) 昭和五四年四月ころ、営業第三課長亀山寿夫が、社長から建設新聞を社長室に届けるように指示されたので、同新聞をとっている営業第二部の石塚盛郎部長にこれを依頼し、同部長が申請人に右持参方を指示したところ、申請人はこれに従わず、亀山課長に対して毒舌をはくなどした。

(六) 申請人の右のような執務態度は業務の支障ともなり、従業員全体の批判の的となっており、申請人は上司からの再三の注意にも反撥し、改善の跡もみられなかった。

4  被申請会社における経営の危機

(一) 被申請会社は、昭和二六年建設業を経営することを目的として設立され、宅地造成工事を主たる事業としていたが、昭和四八年のいわゆるオイルショックを契機として宅地造成事業が極度に悪化し、これに伴なって被申請会社の経営体質も悪化し、金融機関からの借入も増大し、倒産の危機に陥った。そこで、被申請会社は、同五二年一二月、渋谷区神泉町所在の共栄興業第二、第三ビル(敷地を含む)を昭和飛行機工業株式会社に売却し、危機を乗り越えたが、同五四年三月の決算においては、株主に対する配当もできない状態になった。

(二) 被申請会社は、昭和五四年四月二日、同五三年度の一般管理費の実績二億円を一億五〇〇〇万円とすることを目標とし、顧問等の人件費削減、不採算部門の人件費及び経費の削減(大阪・九州両支店の廃止)、不要社員の解雇並びに営業部門における交際費の削減を行うことを決定し、同年五月一日の取締役会において、(1)同年五月末日限り、大阪・九州両支店を閉鎖し、同支店勤務の社員中二名は本社勤務、二名は希望退職とする。(2)役員七名などの報酬(給与)を削減する。(3)顧問二名を退任させる。(4)同五三年度及び五四年度の定期昇給を停止する。(5)社員中、(イ)職務を尽さない者、職務怠慢の者、(ロ)業務命令に従わない者、(ハ)欠勤遅刻の多い者、(ニ)素行の悪い者、(ホ)老令者、を退職させ、もしくは解雇することが決定され、右退職もしくは解雇対象者として田口悦郎、横田次郎、佐藤英夫及び申請人が選定された。

(三) 右取締役会の決定に基づいて第一段階として、次の措置が講じられた。

(1) 昭和五四年五月三一日限り大阪・九州両支店が閉鎖され、女子社員二名が退職した。

(2) 同年七月一日より取締役七名、顧問、相談役各一名の給与が六%ないし四一%削減された。

(3) 同年六月三〇日顧問二名が退職した。

(4) 同五三年及び同五四年度の定期昇給が停止された。

(5) 申請人ほか四名の社員が解雇された。

次いで、第二段階として次の措置が講じられた。

(1) 昭和五四年八月一七日渋谷区渋谷二丁目所在の共栄興業第一ビル及び同区松濤二丁目所在の松濤ビル(敷地を含む)を殖産土地相互株式会社に売却した。

(2) 同年七月及び八月に保有株式を売却した。

(3) 同年一〇月までに運転手付乗用車二台、営業用乗用車二台、現場用ライトバン二台のうち運転手付乗用車一台を残し、その余を処分した。

(4) 同年八月二五日大阪府高槻聖ヶ丘分譲地宅地造成工事から撤退した。更に、広島市中山土地区画整理事業及び北九州市徳力第二分譲地造成工事からも撤退が予定されている。

(四) 被申請会社は以上のような経営上の窮境にあってこれを乗り切るためにとりうるすべての手段をとって来たが、その危機的状況は一向に弱まらないのである。

5  以上のような経緯から、被申請会社は、昭和五四年五月二日、申請人に対して同月一〇日までに退職届を提出して退職することを勧告し、これに応じない場合には六月一〇日限りで解雇する旨通告したが、申請人は右退職届を提出しなかったので、五月一〇日、再び申請人に対して六月一〇日限りで解雇する旨の通告をした。したがって、被申請人の申請人に対する解雇はやむをえない措置であり、申請人は同五四年六月一〇日限りで被申請会社の社員としての地位を失ったのである。

四  被申請人の主張等に対する答弁

1  被申請人の主張等1記載の事実はおおむね認める。

2(一)  同1(一)記載の事実のうち申請人が身元保証書を提出していないことは認め、その余は否認する。

(二) 同(二)記載の事実のうち申請人が一か月に一、二回朝食を執務机でとったことは認める。しかし、これは業務に支障がないようにするためであり、他の女子社員も同様に朝食等をとっていたことがあるし、男子社員もまた、しばしば喫茶店を利用していたことがある。

(三) 同(三)記載の事実は否認する。申請人は、岡部長から承認をえていたものである。

(四) 同(四)記載の事実中、昭和五三年四月一日から同五四年四月三〇日までの間の要出勤日数二九七・五日間のうち、年次有給休暇六日及び特別休暇四日のほか、欠勤一五・五日、遅刻八回であることは認めるが、その余は不知。

(五) 同(五)記載の事実は否認する。申請人は社用のために午後一時まで職場に戻ることができなかったのであり、また、無断外出をしたこともない。

3(一)  同3(一)記載の事実は否認する。被申請人主張の事実はない。

(二) 同(二)記載の事実のうち、被申請人主張のころ、岡部長の指示によって翌日使用する国鉄新宿建築区の工事入札のための書類を作成したことは認めるが、その余は否認する。申請人は同書類を大島利男の机の上に置き、青島経理課長に言付けをしたから、申請人としてはその責任をはたしている。仮に入札事務に支障があったとすれば、それは岡部長の責任である。

(三) 同(三)記載の事実は否認する。

(四) 同(四)記載の事実は否認する。被申請人主張の事実はない。

(五) 同(五)記載の事実は否認する。申請人は社長室に建設新聞を持参している。

(六) 同(六)記載の事実は否認する。

(四)(一) 同4(一)記載の事実のうち被申請人主張のころに共栄興業第二、第三ビル(敷地を含む)を昭和飛行機工業株式会社に売却したことは認めるが、その余は不知。

(二) 同(二)記載の事実のうち、退職対象者として田口悦郎、横田次郎及び佐藤英夫が選定されたことは認めるが、その余は不知ないし否認する。

(三) 同(三)記載の事実のうち、四名の社員が解雇されたこと、被申請人主張の日に共栄興業第一ビル及び松濤ビル(敷地を含む)が殖産土地相互株式会社に売却されたことは認めるが、その余は不知。

5  同5記載の事実は否認する。

第三疎明《省略》

理由

一  申請人は、昭和五二年一〇月二〇日被申請会社に入社し、営業第二部に配置されたこと、同部は官公庁に対する工事の受注担当部であり、申請人は、官公庁に提出する書類等の作成・官公庁よりの指名その他の連絡を受理し、これを社員に伝達すること、来客の応待、その他右に関連する業務を担当していたが、営業部では、部長以下全員が営業活動のため社外に出ることが多いので、申請人は留守役として社内外からの伝達事項の受理、伝達に責任を持つことになっていたこと、同五四年四月一七日、申請人は五階勤務に配置換となったこと、同階には役員などの個室などもあり、申請人は、右五階勤務者に対する伝達事項の受理・伝達・執務の補助(例えば、書類のコピーの作成、整理保存、使い走り)及び来客の応待などの職務に従事していたことはおおむね当事者間に争いがない。

二  被申請会社が申請人に対し、昭和五四年六月一〇日限りをもって解雇したものとして取扱っていることは当事者間に争いがなく、右事実に加え、《証拠省略》によれば、同五四年四月二日、小口荘輔総務部長が申請人に対して退職を勧め、次いで、五月一〇日、当時の被申請会社社長武林敬二が申請人を社長室に呼び、申請人に対して六月一〇日限りをもって解雇する旨告げ、解雇通知書を交付しようとしたが、申請人はその受領を拒否したことが一応認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定事実によれば、申請人は昭和五四年六月一〇日限りをもって被申請会社を解雇されたものということができる。

三  申請人は被申請人が申請人を解雇したのは恣意によるものであって解雇権の濫用である旨主張し、被申請人は申請人が職務規律違反等を繰り返し、業務の支障となっていたうえ、被申請会社の経営が危機的状況にあるのでやむなく解雇したものである旨抗争するので、この点について検討する。

1  申請人の執務態度等について

《証拠省略》を総合すれば、一応次の事実が認められる。

(一)  被申請会社では、就業規則上、社員として採用された者は保証人一名をたて身元保証書を提出しなければならない旨定められており(一七条二項)、申請人は、入社時に管理部課長代理辰馬勝から右身元保証書の提出を求められたが、これを提出せず、その後も右提出を求められたにもかかわらず、被申請会社の信用度、実態、将来性も分らないということでこれに応じないこと、

(二)  申請人は、しばしば朝食を勤務時間中に執務机においてとっており(少なくとも、一か月に一、二回朝食をとっていたことは当事者間に争いがない。)、執務机において食事をすることが業務に支障を生じさせないことになると考えていたこと、

(三)  営業第二部においては、社員が休暇をとる場合には、岡部長(同部長不在の場合は石塚盛郎部長)の承認をえたうえ、岡部長の押印のある休暇届を管理部に提出するものとされていたこと、被申請会社においては、就業規則上、年次有給休暇のほか、七ないし九月中に業務に支障のない限り四日間の夏季特別休暇が認められていること(一一条)昭和五三年八月五日、申請人は、岡部長が休暇中のために同部長の承認はもちろん、石塚部長の承認をもうることなく、岡部長の押印済みの休暇届(二枚)を使用し、八月七日から同月一〇日までの四日間の夏季特別休暇届と同月二六日の欠勤届とを作成し、これを総務部に提出したこと、同部では右届出が上司の承認をえていないことを知り、申請人に対して右休暇を認めない旨告げたが、申請人はこれに従うことなく、右届出日に休んだこと、

(四)  申請人は、昭和五三年四月一日から五四年四月三〇日までの間の要出勤日数二九七・五日間のうち、年次有給休暇六日及び特別休暇四日をとったうえ、一五・五日間欠勤し、更に八回遅刻しており(この点は当事者間に争いがない。)、申請人の右欠勤日数は他の社員と比べて著しく多いこと、また、同五三年五月二日と四日には、欠勤届をも提出しないで欠勤し、連休などをするため、申請人の書類の作成が遅れ、業務に支障をきたすこともあったこと、

(五)  被申請会社においては、就業規則上、昼の休憩時間が正午から午後一時までと定められていること(六条)、申請人は、右休憩時間には毎日外出し、徒歩で二〇ないし二五分位の距離にある自宅に食事に行ったり、私用のために郵便局に行ったり、買物をしたりなどしていたために職場に戻ることが一時すぎになることがしばしばあったこと、そのために営業第二部の業務連絡に支障が生じていたうえに、勤務時間中長時間にわたり無断で何度も労働省などに出掛け、上司が再三注意しても申請人はこれを改めようとしなかったこと、

(六)  昭和五三年三月ころ、岡部長が出張先から申請人に対し、電話により帰宅が遅くなるので翌朝国鉄新宿建築区の入札に使用する書類を作成し、これを同日中に同部長と同じ社宅に居住している総務部所属の運転手大島利男に渡して同部長宅に届けるように指示したところ、申請人は午後四時ころ右書類を作成して総務部に赴き、右大島の机の上に右書類を置き、経理課長青島幸夫に対して大島に渡してほしいと言ったので、同課長が同人はいつ帰るか分らないと答えると、申請人はそのまま同部から立去った。同課長は右書類の内容も知らなかったので、大島が来たときに渡せば足ると思い、そのままにし、決算期のために決算事務に多忙を極め、残業をして帰宅した。同日右大島は帰社しなかったために岡部長は同日夜右書類を入手することができなかった。従前も、岡部長が申請人に入札書類の作成をしこれを同部長宅に届けることを指示した場合には、申請人が翌朝入札場に持参したこともあったので、同部長は申請人が右書類を午前九時に新宿駅に持参するものと思って同駅に直行したところ、申請人は来ておらず急いで申請人に電話したが、右書類が間に合わず、午前一〇時からの入札にあたり、有り合わせの書類を使用し、後日差し換えることとして入札手続をしたが、このために同区の関係では三か月間指名されなかったこと、

(七)  昭和五三年四月二六日ころ、申請人は、栗橋市所在の建設省利根川上流工事事務所から指名通知を受け、翌日午前一一時現場説明をするので来庁するようにとの連絡を受けたのであるが、営業部員全員が社外に出ているにもかかわらず、申請人はこれを営業第二部内の黒板などに書いたのみで、これを何人にも電話などによって事前に連絡しなかったため、当日担当者が出勤し、右黒板を見て驚き、社員二名が、一名は電車で、他は車で同事務所に駆けつけ、ようやく間に合い、指名を停止されるに至らなかったこと、

(八)  昭和五三年九月中旬ころの午後二時ころ、経理課長青島幸夫が関東地方建設局から午後四時までに来庁し、指名通知を受理するようにとの連絡を受けたので、営業第二部に行ったところ、申請人以外に誰も居なかったため、申請人に対して右受理に赴くように指示したが、申請人はこれに応じなかったので、やむなく同課長が関東地方建設局に赴いてこれを受理したこと、

(九)  昭和五四年四月ころ、営業第三課長亀山寿夫が社長から建設新聞を届けるように指示されたので、同新聞をとっている営業第二部の石塚盛郎部長にこれを依頼し、同部長が申請人に対して右持参方を指示したところ、申請人は亀山課長に対し、社長に命じられたのは同課長であるから自分で取りに来るようになどと電話し、これに従わなかったこと、

(一〇)  申請人は、被申請会社に入社後半年位経ってから欠勤、遅刻も多くなり、性格的に協調性に欠けているために同僚との折合いも悪く、出、退社時の挨拶もなく、上司が挨拶をしても無言であり、更に上司の業務上の指示にも快く応じないようになり、例えば、コピーを頼んでも仲々これをしないので、上司が自らこれをしたり、また、若い社員が頼んだときには自分でやるようにといってこれに応じなかったこと、岡部長はじめ上司は日頃申請人に対し、執務態度などについて再三注意をし、同部長は申請人と二、三回昼食を共にしながら反省を促すなどしたが、申請人は一向に改めようとしなかったこと、そこで申請人が営業第二部において勤務することはむしろ同部の業務の阻害になるという理由から、同部には申請人の代りを補充しないこととして、昭和五四年四月一七日五階勤務に配置換されたこと、

《証拠判断省略》

右認定事実によれば、申請人と被申請会社との間の信頼関係は失われ、申請人には被申請会社の社員として誠実に職務に従事することを期待し難い状態にあるものといわざるをえない。

2  被申請会社の経営状態等について

《証拠省略》を総合すれば、一応次の事実が認められる。

被申請会社は、昭和二六年に建設業を目的として設立され、宅地造成工事を主たる事業とし、当初は業績も順調であり、同三八年には共栄興業第一ビルを建築し、更に、同四八年には同第三ビルを建築所有したが、同年のいわゆるオイルショックを契機として宅地造成事業が極度に悪化し、これに伴なって被申請会社の経営体質も悪化し、金融機関からの借入も増大し、倒産の危機に陥った。そこで被申請会社は、同五二年一二月右両ビルを売却し(両ビルを売却したことは当事者間に争いがない。)、一応倒産の危機を免れたが、依然として危機的状態が続くところから、これを打開する措置として、同五四年五月一日企業規模を縮小し、経営の合理化を図ることとし、そのために、(1)同年五月末日限り大阪、九州両支店を閉鎖する、(2)役員などの報酬(給与)を削減する、(3)顧問二名を退任させる、(4)同五三年度及び同五四年度の定期昇給を停止する、(5)社員の中で職務を尽さない者、怠慢な者、業務命令に従わない者、欠勤、遅刻の多い者、素行の悪い者、老令者を解雇することなどを決定した。その結果、同五四年五月三一日をもって大阪、九州両支店が閉鎖されて女子社員二名が退職し、同年七月一日から取締役七名、顧問、相談役各一名の給与が六%ないし四一%削減され、同年六月三〇日には顧問二名が退職し、同五四年に行われる予定であった同五三年度及び同五四年度の定期昇給が停止され、更に、同五四年八月一七日には共栄興業第一ビル及び松濤ビルが売却され(両ビルが売却されたことは当事者間に争いがない。)、被申請会社は右第一ビルの五、六階を賃借して営業をすることになり、同年七月及び八月には保有株式を売却し、同年一〇月には運転手付乗用車一台を残し、その余の同乗用車一台、営業用乗用車二台、現場用ライトバン二台を処分し、同五四年一二月には伊東市にある保養施設あるいは電話を売却し、また、同年八月には大阪府高槻聖ヶ丘分譲宅地造成工事、同年一二月には広島市中山土地区画整理事業、同五五年三月には北九州市徳力第二分譲地造成工事からいずれも撤退し、前社長竹林敬二もまた同五五年一一月経営不振の責任をとって辞任した。そしてかゝる過程において、申請人ほか四名の社員が右解雇基準に該当し、被申請会社の社員として誠実に職務に従事することが期待できないということで解雇された(右四名の社員が解雇されたことは当事者間に争いがない。)。

以上の事実が一応認められ、右認定を覆すに足りる疎明はない。

右認定事実によれば、被申請会社は経営の危機的状態を打開するための措置として、その資産を売却し、経営規模の縮少、合理化を図り、その過程において社員として誠実に職務に従事することが期待しえない申請人らが解雇されたものということができる。

3  そうすると、被申請会社が申請人を解雇したことをもって恣意的であり、解雇権の濫用であるとまでは断定し難く、申請人の前記主張は採用することができない。

したがって、申請人は昭和五四年六月一〇日をもって被申請会社の社員としての地位を喪失したものといわざるをえない。

四  叙上の次第であって、本件申請は被保全権利の疎明がなく、また、保証をもって疎明に代えるのも相当ではないから、これを失当として却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 古館清吾)

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